総合人間はねたとも

京都大学総合人間学部生が送る、総合人間になるまでの軌跡

【京都嵐山オルゴール博物館】心を弾くオルゴール

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 夏である。

 梅雨が明けた爽快感そのまま、僕は嵐山へと足を伸ばした。渡月橋天竜寺の枯山水、竹林の小径。良い心のお洗濯になった訳だが、京都嵐山オルゴール博物館が何より素晴らしかった。オルゴールと聞くと、ゼンマイを回せば音楽が鳴る小さな箱を思い浮かべる人が多いのではないか。もちろんそれもオルゴールなのだが、実はオルゴールにはもっと様々な種類があり、そこには興味深い歴史と示唆があった。今回は豊穣なオルゴールの世界と京都嵐山オルゴール博物館の紹介、そこで得た気づきを記したい。

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オルゴールの始まり

 18世紀後半、スイスの時計職人が時計にアラーム機能をつけるため、時計の内部に音楽を再生する装置を発明した。これがオルゴールのはじまりである。その後、煙草入れや羅針盤などの贅沢品の内部にさらにオルゴールが入った、富と権力の象徴として世に売り出された。オルゴールは当初お金持ち中のお金持ちしか味わえない代物だったのだ。技術の進化とその人気ぶりから徐々にオルゴールは音楽再生機器単体として製造され始める。

オルゴール全盛期

 穴の空いた円筒が回転して音を鳴らすシリンダーオルゴール、円盤が回転して音を鳴らすディスクオルゴール、人形にオルゴールが入り音楽に合わせて動き出すオートマタオルゴール。実に様々な種類のオルゴールが世に出された。当時の技術力は凄まじい。無数の小さな穴が手作業で空けられているのはもちろんのこと、自動で円盤が入れ替わることで長時間の演奏が可能になったディスクオルゴールや、まるで人間のようななめらかな動きでピエロがサーカスをしながら音楽を奏でるオートマタオルゴールなどはまさに圧巻である。ぜひ博物館の実演を見て欲しい。

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全てオルゴールである

オルゴールの衰退

 オルゴールはバーやレストランのBGMとしても使われ始め、18世紀後半に最盛期を迎えた。その後エジソンが発明した蓄音機との競争に敗れ、コストがかかるオルゴールは衰退していく。現在その存在感は小さいが、一部の愛好家に親しまれたり、最新の曲が鳴る小型のオルゴールが製造されたりしてはいる。最盛期の技術は今では再現できないものも多いという。時代は進み文明は進化したというのに技術が退化してしまったというのは興味深い。

 オルゴールは教えてくれる

 オルゴールは金にならなくなった。文明の波に呑まれ衰退していったオルゴール技術。これはオルゴールに限ったことではないように思える。スマホ・pcの普及により書けなくなっていく漢字だってそうだ。文明の進化とともに消えゆく技術。そうした技術はやがて博物館に並ぶだけのものになっていく。文化もそうだ。文明は大量に皆に届ける方向へと進んでいく。文明の進化とグローバル化に伴う均質化。文明の進化が絶対悪だなんて思わない。ただ、お金になる方向へ、文明が指し示す方向へ、何も考えずに流されていては、何か大切な人間らしさの喪失が待っているように思える。幸せとは何なのか。幸せに感じる仕組みは究極的に言えば脳内物質の伝達である。しかし脳に電極を当てて感じる「幸せ」は幸せなのだろうか。幸せに至るプロセスもまた幸せの重要なパーツなのではないか。文明がくれた自由を、大企業が仕組んだ時間消費マシーンに費やすのではなく、文化を楽しむ時間に使ってみよう。流れる時代の中で一旦立ち止まって自分の幸せについて考える時間を作ってみよう。オルゴールを飛び越えて様々なことを考えさせられた、京都嵐山オルゴール博物館での体験であった。オルゴールは僕の心を弾いてくれた。