『凪に溺れる』を読んで
憧れ、夢。
十太が見つめた水平線の先は僕にはまだ無い。
いや、正確には昔あった。お医者さんになりたいだなんて、そんな夢があった。
でも、徐々に減衰して、高3の夏に僕は舵を切って背を向けた。
決して諦めた訳では無い。自らの気持ちに従い、自らの手で、標識も何もない自由の海へと飛び込んだまで。
葛藤の先に選び、勝ち取ったこの大海原で、浮きつ沈みつ、それでも進み続けて、進路を徐々に絞りながら、変えながら。
命には終わりがあるし、自立の刻は近づいている。いつまでもこんなことをやっている場合では無い。でも今は思う存分大冒険するんだ。
いつかそんな大冒険の中で憧れや夢を抱き、強い予感を持って、遠くを見て大きくアクセルを踏み出す時が来るかもしれない。そんな予感は大きな流れの中で徐々に失われていくだろう。諦めざるを得ない時もある。
けれど失われたものたちは、埋まらない空白としてこの身とともにあり続ける。消えない胸の疼きが、自分を生かし続けていく。
確かに感じた強い波も凪ぎ、いつの間にか凪に溺れてしまうことだってきっとある。それでも、過去に感じた事実が、進む意味が失われても尚残る渇きがあるおかげで、前に進むことが出来る。『凪に溺れる』のような、遠くを見つめながら藻掻き続ける姿、歌なんかもエンジンオイルになってくれるだろう。
前へと進み続けた天才十太と、その天才に翻弄されながらも藻掻き続ける人達。そんな彼らを見ていると、何かを追いかける営みの尊さを感じ、大海原を進む勇気をもらうことができた。
十太の奏でるギターに釣られ、今日も免許合宿先で満点の星空の下、ギターを響かせているのはまた別のお話。
著者の青羽悠さんは僕と同じ総合人間学部の先輩。会いたい。