総合人間はねたとも

京都大学総合人間学部生が送る、総合人間になるまでの軌跡

9年紙につぶやいていた男、Twitterを知る 前編

つぶやき歴9年、Twitter歴2ヶ月。今回はそんな謎の男が、Twitterを語る記事の前編、僕のつぶやき史について書く。

それは小学4年生の時だった。どこかでTwitterでつぶやく人々の存在を知った僕は「つぶやき」を始めた。紙で。

そこはいいねもリツイートも無い世界。消したければ消しゴムでツイ消し、否つぶ消し。

その1年前から僕は自分のノートを持っていた。その名も「マイノート」である。それは先生が皆に作らせたいわば「自分帳」で、何かの感想を書いたり、日記を書いたりする何でも書けるノートであった。しかしその後マイノートは独自の進化を遂げ、僕の幼少期に多大な影響を及ぼすことになる。このマイノート、実はまだ実家に眠っており、現在下宿先に持って来ようとしている最中でる。届き次第別記事でじっくり語る予定だ。とにかくこのノートを使って、僕は「つぶやき」を始めた。

具体的にその「つぶやき」とは何か。実際の画像は下宿先に届き次第お送りするとして、テキストで紹介してみる。とは言っても形式は至って単純である。日付と時刻と共にひたすらつぶやくだけだ。紙と鉛筆で。

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ジャポニカ学習帳の科目シールを集め、その顔シールをスタンプ代わりに貼っていた

では実際何をつぶやいていたのか。

授業や勉強、遊び、スポーツの試合、テレビ番組、遠足、旅行、合格発表・・・。それらに臨む気持ちであったり、得た気づき、その場の感想などをつぶやいた。いわば実況である。全てが終わった後に回顧し、書くことを一つに絞りがちな感想文とは違い、リアルタイムで素の思いを書き綴った。ちなみに大晦日紅白歌合戦を実況しながら行われる「大晦日大大大つぶやき大会」は現在でも慣例的に続いており、今年で10回目を迎える。

完全に思うがままつぶやいていたかと言われるとそうとは言い切れない部分もある。周りの人が僕の「つぶやき」を面白がり、見ていたからだ。やはり見て笑ってくれると嬉しいので、見て面白いような「つぶやき」を少しは意識したし、他人が見て問題が無いようセーブをかける必要もあった。だが、見せる人を自分で選択でき、拡散されたとしてもせいぜいクラス内であるため、炎上するリスクは0に近く、比較的自由につぶやくことが出来た。言わば究極のカギ垢である。

またいいねやリツイートの数といった客観的な指標が存在しないため、大して意味の無いこれらの数に一喜一憂することがなく比較的純粋につぶやくことを楽しめた。

思うにこの「つぶやき」はネットリテラシーが無いこどもでも気軽にできる自己表現の場なのではないか。この世界や自分の気持ちは、言葉という分節を与えて初めて捉えることができる。それは如何にも人間らしい営みで、誰しもが欲する行動であり、どんどん複雑化する社会において必須のスキルでもある。僕は「つぶやき」をしていると本当に楽しくて、あっという間に時間が過ぎていった。

そしてその自己表現は紙が燃えない限り残る。一瞬一瞬の心の記録をいつでも読み返すことが出来る。これはかけがえのないことではないか。小学生や中学生の時に何をし、何を思っていたのか。それをいつでも振り返られることはこの「つぶやき」をしていて一番良かった点である。

ここまで文章を読んでくれたあなたは何を思っているだろうか。変人に寛容であることで有名な京大生なら純粋に面白いと受け止めてくれる人もいるだろうが、大半の人は「こいつ、ヤバい」と思うことだろう。確かに時計を見ながらノートに日時と「つぶやき」を真剣に書き込む様は我ながら異様であり、陰気なように感じられ、また誰もやろうとはしないため、何となく「ヤバい」し「キモい」ことだろう。事実、中学校2年の時、盛大に馬鹿にされ、気持ち悪がられ、「つぶやき」をすることもマイノートを書くことすらも控えるようになった。もしも僕が絶対的な価値観を持ち、自信を持って「つぶやき」をしていたのならば、徹底的に反論し我を貫いていただろう。しかし、今も抜け切れていないが、僕には承認欲求があり、他者の中に生きていた。人に否定されるのが辛かった。

しかしよく考えてみれば誰にも害を与えていないし、本当に良い自己表現の場であったと思う。ぜひ皆さんもこどもが産まれたら「つぶやき」をおすすめして欲しい。そして「つぶやき」をしている人がいたら優しく見守っていて欲しい(いない)。

さて、「つぶやき」とは何か、ご理解いただけたであろうか。もはや書きながら自分で理解している側面の方が強いが、それも文章を書くメリットである。もしもこの奇妙な「つぶやき」史があなたの心に何かを響かすものであったならとても嬉しい。

次回はこの「つぶやき」とTwitterを比較し、かつてない切り口から考察を深めていく。